ゲド戦記って原作があるのかな?
原作と映画って全然違うらしいよ
ジブリ映画『ゲド戦記』ですが、同名のファンタジー小説が原作です。
映画『ゲド戦記』と原作小説に違いはあるのでしょうか?
この記事では、「ゲド戦記」の原作と映画の違いと、あらすじについて徹底解説していきます。
- 原作と映画で驚くほど異なる5つのポイント
- 原作「ゲド戦記」シリーズの魅力的なあらすじ
- 映画版独自の物語展開とその意図
ゲド戦記 原作と映画の5つの衝撃的な違い
出典:スタジオジブリ公式HP
ファンタジー文学の金字塔「ゲド戦記」が、スタジオジブリによって映画化されたときは大きな話題を呼びました。
しかし、原作と映画版には驚くほどの違いがあることをご存知でしょうか。
原作ファンの中には、映画版の改変に戸惑いを感じた人も少なくないようです。
ここでは、原作と映画版の主な違いを5つのポイントに絞ってご紹介します。
これらの違いを知ることで、原作の魅力と映画版の独自性がより明確になるでしょう。
それでは、詳しく見ていきましょう。
主人公アレンの設定と父親殺害の有無
原作と映画版で最も衝撃的な違いは、主人公アレンの設定と物語の始まり方です。
映画版では、アレンが突如として父親である国王を殺害するシーンから物語が始まります。
しかし、これは原作には存在しない、完全にジブリオリジナルのエピソードなのです。
- 原作:アレンは父王の命を受けて旅に出る
- 映画:父王を殺害し、罪の意識に苛まれながら旅をする
- 原作アレンは成人しているが、映画版は若い青年として描かれる
この改変は、物語全体の雰囲気や主人公の心理描写に大きな影響を与えています。
原作では、世界の異変を調査するという明確な目的を持って旅立つアレン。
一方、映画版のアレンは自らの罪と向き合いながら、さまよう旅を続けることになるのです。
この設定の違いは、物語の展開や他のキャラクターとの関係性にも大きく影響しているようです。
テルーのキャラクター設定と年齢の違い
テルーというキャラクターも、原作と映画版では大きく異なっています。
映画版のテルーは、アレンと同年代の少女として描かれており、ジブリ作品特有の魅力的なヒロインとなっています。
しかし、原作のテルーはなんと5~6歳の幼い子供なのです。
- 原作:5~6歳の幼女で、過酷な虐待の経験を持つ
- 映画:アレンと同年代の少女で、美しい歌声を持つ
- 原作では顔の半分が焼けただれているが、映画ではやけどの跡程度
原作のテルーは、壮絶な過去を持つ子供として描かれています。
両親に焼き殺されそうになった経験から、顔の半分が大きく損傷しているのです。
映画版では、この設定が大幅に緩和され、より一般的なアニメヒロインの姿に近づけられました。
こうした変更により、アレンとテルーの関係性や物語の展開にも大きな違いが生まれているのです。
「影」の概念と意味合いの変化
「ゲド戦記」において重要な概念である「影」も、原作と映画版では扱いが大きく異なっています。
原作では、「影」は人間の内なる闇や弱さを象徴する存在として描かれています。
一方、映画版では「影」の意味合いが大きく変更されているのです。
- 原作:人間の内なる闇や弱さの象徴
- 映画:アレンから切り離された「光」の部分
- 原作では「影」と向き合うことが成長につながる
原作では、主人公が「影」と向き合い、それを受け入れることで成長していく過程が描かれています。
しかし映画版では、「影」はアレンから切り離された「光」の部分とされ、それを取り戻すことが目的となっています。
この解釈の違いは、物語のテーマや主人公の成長過程に大きな影響を与えています。
物語の舞台と旅の範囲の相違
原作と映画版では、物語の舞台となる世界の描写にも大きな違いがあります。
原作の「ゲド戦記」は、広大なアースシーの世界を舞台に展開されます。
主人公たちは、この広大な世界を縦横無尽に旅していきます。
- 原作:アースシー全域を舞台に、広大な旅が展開される
- 映画:主に港町ホート・タウンとその周辺が舞台
- 原作では死後の世界まで訪れるが、映画ではそこまでの描写はない
映画版では、物語の舞台が比較的狭い範囲に限定されています。
主に港町ホート・タウンとその周辺、テナーの家やクモの居城が中心となっています。
この違いは、物語の規模感や冒険の壮大さにも影響を与えています。
結末とメッセージ性の違い
原作と映画版では、物語の結末とそこに込められたメッセージにも大きな違いがあります。
原作の「ゲド戦記」は、単純に悪を倒して終わるような物語ではありません。
むしろ、主人公たちの内面的な成長や、世界の均衡を保つことの重要性が強調されています。
- 原作:内面の成長と世界の均衡がテーマ
- 映画:クモを倒すことで問題が解決する展開
- 原作では明確な悪役は存在せず、より複雑なテーマが扱われる
一方、映画版では最終的にクモという明確な悪役を倒すことで問題が解決する展開になっています。
この結末の違いは、物語全体のメッセージ性にも大きな影響を与えています。
原作のより複雑で深遠なテーマが、映画版では単純化されている印象を受けます。
ゲド戦記 原作のあらすじ
出典:スタジオジブリ公式HP
「ゲド戦記」の原作は、アーシュラ・K・ル=グウィンによって書かれた全6巻からなるファンタジー小説シリーズです。
ここでは、映画の原作となった主要な巻のあらすじを紹介します。
原作の世界観と物語の流れを知ることで、映画版との違いがより明確になるでしょう。
それでは、各巻の内容を詳しく見ていきましょう。
第1巻:若きゲドの成長と「影」との戦い
第1巻「影との戦い」は、主人公ゲドの少年時代から始まります。
ゴント島出身のゲドは、強力な魔法の才能を持っていました。
しかし、その力を過信し、禁断の魔法に手を出してしまいます。
- ゲドは魔法学校ロークで学び、才能を開花させる
- 傲慢さから禁断の魔法を使用し、「影」を解き放つ
- 「影」との戦いを通じて、ゲドは成長していく
ゲドは「影」から逃れようとしますが、最終的にはそれと向き合い、自分の一部として受け入れることで成長します。
この巻では、人間の内なる闇と向き合うことの重要性が描かれています。
第3巻:アレンとゲドの冒険と世界の均衡
第3巻「最果ての岸」は、映画の主な原作となった巻です。
この巻では、エンラッド王国の若き王子アレンが中心となって物語が展開します。
アレンは、世界の魔法が失われつつあることを知り、その原因を探るために旅に出ます。
- アレンは世界の異変を調査するため、ゲド(ハイタカ)と共に旅をする
- 彼らは「最果ての岸」と呼ばれる死者の国を訪れる
- 世界の均衡を回復させるため、古代の封印を修復する
アレンとゲドは、世界の均衡が崩れている原因を探り、最終的に死者の国「最果ての岸」を訪れます。
そこで彼らは、生と死の境界を守る古代の封印を修復し、世界の魔法と均衡を取り戻すのです。
続巻:テルーの登場と新たな展開
第4巻「テハヌー」では、テルーという新しいキャラクターが登場します。
テルーは虐待を受けた幼い少女で、ゲドとテナーに育てられることになります。
この巻以降、物語はより複雑な社会問題や人間関係を扱うようになります。
- テルーは重度のやけどを負った6歳の少女として登場
- ゲドとテナーがテルーを養子として育てる
- 魔法と人間社会の関係性がより深く探求される
これらの続巻では、魔法と人間社会の関係性や、力の使い方についてより深い洞察が提供されています。
原作シリーズは、単なるファンタジー物語を超えて、人間の成長や社会の問題を深く掘り下げた作品となっています。
映画版ゲド戦記の物語展開
出典:スタジオジブリ公式HP
スタジオジブリが制作した映画版「ゲド戦記」は、原作の第3巻を主な基にしていますが、独自の解釈と展開が加えられています。
ここでは、映画版の物語展開を紹介します。
原作とは異なる映画独自の要素を理解することで、両者の違いがより明確になるでしょう。
それでは、映画版の物語展開を詳しく見ていきましょう。
アレンの父親殺害から始まる旅
映画は、エンラッド王国の王子アレンが突如として父親を殺害するシーンから始まります。
この行動の理由は明確には説明されず、世界の均衡が崩れていることによる影響だと示唆されます。
罪の意識に苛まれたアレンは、王国を出て旅に出ます。
ハイタカ(ゲド)との出会いと冒険
旅の途中、アレンは大賢人ハイタカ(原作のゲド)と出会います。
ハイタカは、世界の均衡が崩れている原因を探るため旅をしており、アレンはその旅に同行することになります。
彼らは港町ホート・タウンを訪れ、そこで奴隷として売られそうになっていたテルーを救出します。
テルーとの交流と「影」の正体
アレンはテルーと交流を深める中で、自分の中にある「影」の存在に悩まされます。
映画版では、この「影」はアレンから切り離された「光」の部分として描かれています。
テルーの助けを借りて、アレンは最終的に自分の「影」と向き合い、受け入れることになります。
クモとの対決と世界の均衡回復
物語のクライマックスでは、世界の均衡を崩そうとしている魔法使いクモとの対決が描かれます。
クモは生と死の境界を開こうとしており、これが世界の異変の原因となっていました。
アレン、ハイタカ、そしてテルーは協力してクモと戦い、最終的にクモを倒すことで世界の均衡を取り戻します。
映画は、テルーの正体が龍であることが明かされ、アレンが自分の過ちと向き合う決意をするシーンで締めくくられます。
原作者ル=グウィンの映画に対する評価
出典:スタジオジブリ公式HP
「ゲド戦記」の原作者であるアーシュラ・K・ル=グウィンは、スタジオジブリによる映画化に対して批評的な見解を示しました。
彼女の評価は、原作のファンや批評家たちの間で大きな話題となりました。
ここでは、ル=グウィンの映画に対する主な指摘を見ていきます。
物語の改変に対する批判的見解
ル=グウィンは、映画版における物語の大幅な改変に対して不満を表明しました。
特に、アレンが父親を殺害するという原作にはない設定について、「動機が不明確で唐突」だと指摘しています。
また、原作の複雑な世界観や魔法のシステムが単純化されていることにも言及しました。
キャラクター描写の違いへの指摘
ル=グウィンは、映画版のキャラクター描写が原作と大きく異なっていることを指摘しました。
特にテルーのキャラクター設定の変更について、原作の意図が失われていると述べています。
また、ゲド(映画ではハイタカ)の役割が縮小されていることにも不満を示しました。
原作のメッセージ性の希薄化に対する懸念
ル=グウィンは、原作に込めた深いテーマやメッセージが映画版で薄められていると感じました。
特に、人間の内なる闇と向き合うという原作の中心的なテーマが、映画では適切に扱われていないと指摘しています。
また、映画版が行動と冒険に重点を置きすぎており、原作の哲学的な側面が失われていると述べました。
ル=グウィンのこれらの批評は、原作と映画版の違いを理解する上で重要な視点を提供しています。
しかし、彼女は映画の視覚的な美しさについては評価しており、完全に否定的な立場ではありませんでした。
ゲド戦記 映画版の評価と反響
出典:スタジオジブリ公式HP
スタジオジブリによる「ゲド戦記」の映画化は、公開当時さまざまな評価を受けました。
批評家やファンの間で賛否両論があり、原作との違いが大きな議論の的となりました。
ここでは、映画版「ゲド戦記」に対する評価と反響を見ていきます。
国内外の批評家からの評価
映画版「ゲド戦記」は、批評家から様々な評価を受けました。
多くの批評家が、スタジオジブリの高品質なアニメーション技術と美しい映像表現を称賛しました。
一方で、物語の展開や原作からの改変に関しては批判的な意見も多く見られました。
特に、日本の映画雑誌「映画芸術」では、2006年のワーストテン第一位に選ばれるという厳しい評価を受けています。
ファンの間での賛否両論
「ゲド戦記」の映画版は、ファンの間でも意見が分かれました。
スタジオジブリのファンの中には、独特の世界観や美しい映像に魅了された人も多くいました。
しかし、原作のファンからは、物語やキャラクターの設定が大きく変更されていることに対して失望の声も上がりました。
特に、アレンが父親を殺害するという設定や、テルーのキャラクター変更に対して違和感を覚えるファンが多かったようです。
原作ファンからの「原作を読むべき」という声
映画を見た後、多くの原作ファンが「原作を読むべき」という意見を表明しました。
彼らは、原作小説の深い世界観や複雑なテーマが映画では十分に表現されていないと感じたようです。
特に、人間の成長や内なる闇との向き合い方といった原作の中心的テーマがより深く描かれていることを強調しています。
また、映画版で省略された多くの登場人物や詳細な設定が、原作ではより豊かに描かれていることを指摘する声も多くありました。
これらの反応は、原作と映画版の違いを浮き彫りにするとともに、「ゲド戦記」という作品の奥深さを示しています。
原作と映画の違いから見えるもの
出典:スタジオジブリ公式HP
「ゲド戦記」の原作と映画版の違いを分析することで、両者の特徴や制作意図がより明確になります。
ここでは、その違いから見えてくるものについて考察します。
ジブリ作品としての特徴と独自性
映画版「ゲド戦記」には、スタジオジブリ作品特有の要素が多く見られます。
例えば、美しい背景画や細部まで作り込まれた世界観は、ジブリ作品の大きな特徴です。
また、主人公が成長していく過程や、人間と自然の関係性といったテーマも、他のジブリ作品と共通しています。
これらの要素は、原作の世界観をジブリ独自の視点で解釈し、表現した結果と言えるでしょう。
現代的解釈と原作の普遍的テーマ
映画版では、原作の一部の要素を現代的に解釈し直しています。
例えば、アレンの内なる闇との戦いは、より視覚的でドラマチックな形で表現されています。
一方で、原作が持つ普遍的なテーマ、例えば自己との向き合い方や、世界の均衡の重要性といった点は、映画版でも中心的な要素として扱われています。
この現代的解釈と普遍的テーマの融合が、映画版の特徴の一つとなっています。
ファンタジー文学の映像化における課題
「ゲド戦記」の映画化は、ファンタジー文学を映像化する際の難しさを浮き彫りにしています。
原作の複雑な世界観や魔法システム、多岐にわたるキャラクターや設定を、限られた上映時間内で表現することは大きな挑戦でした。
また、読者の想像力に委ねられていた部分を具体的な映像として表現する際、原作ファンの期待とのギャップが生じやすいという課題も明らかになりました。
これらの点は、他のファンタジー文学の映像化にも共通する課題であり、「ゲド戦記」の例はその難しさを示す一つの事例と言えるでしょう。
ジブリ作品を見たくなったらぜひ、こちらの記事を参考にしてみて下さいね/↓↓↓
まとめ
この記事では、ゲド戦記の原作と違いやあらすじについて紹介してきました。
- 原作と映画で設定が違う
- 物語展開が大きく異なる
- 原作者の評価は厳しい
ゲド戦記の原作と映画版には、主人公の設定やストーリー展開、「影」の概念など、多くの違いがあることがわかりました。
原作は複数の巻で構成される壮大な物語ですが、映画版はそれを独自に解釈し再構成しています。
この違いにより、原作者や一部のファンからは批判的な意見も出ていますが、それぞれの魅力があるともいえます。
原作と映画、両方の良さがわかって面白かったね
原作と映画、それぞれの視点で楽しんでみてください。
両者を比較することで、新たな発見があるかもしれません